昌福寺

しょうふくじ

国漢学校発祥の地

戊辰戦争時下、寺院も軍施設として供用される中で、昌福寺は負傷者を手当てする軍病院として利用されました。
その後、戦後間もない明治2年、小林虎三郎が焼失を免れた昌福寺の本堂を借りて学校を開きました。
現在、門前には「長岡国漢学校発祥之地」の碑が建っています。
寺内には長岡空襲殉難者の慰霊塔と、幕末きっての洋数学者・鵜殿団次郎の墓があります。

カテゴリー
神社仏閣

基本情報

住所新潟県長岡市四郎丸4-6-21
交通アクセス長岡駅より徒歩約10分