「北越戊辰戦跡めぐり」ついでにちょぴっとグルメ探し№1/長岡市・小千谷市
2022年11月07日
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地元を知り尽くした観光協会のスタッフが今回お届けするネタは、「北越戊辰戦跡めぐり」です。幕末を駆け抜けた長岡藩、牧野家家老「河井継之助」の足跡をたどる旅をご案内します。北越戊辰戦争の激戦地となった長岡多くの史跡が残されています。激動の時代に思いを馳せながら、ついでにちょぴっとグルメも探してご紹介します。どうぞお楽しみに!
最初に訪れたい「河井継之助記念館」
北越戊辰戦跡めぐり、旅のはじめは「河井継之助記念館」を訪れましょう。
ここは河井継之助の生家跡に建つ記念館です。幕末の長岡藩政を担った河井継之助ゆかりの品々がたくさん展示されています。
ここは河井継之助の生家跡に建つ記念館です。幕末の長岡藩政を担った河井継之助ゆかりの品々がたくさん展示されています。
ガトリング砲(複製)の展示も!ガッチリした造りで重そうです。
河井継之助関連の書籍もたくさん販売しています。特に、一番右側の「河井継之助傳」は、ここでしか手に入らない貴重な書籍です。
河井継之助記念館
●開館時間:10時~17時(16時30分まで入館可能)
●休館日:12月28日~1月4日(臨時休館日あり)
●観覧料:(大人)個人200円、団体160円
(高校生・大学生・障がい者・介助者)個人150円、団体120円
(小・中学生)個人100円、団体80円
●住所:長岡市長町1丁目甲1675-1
●電話番号:0258-30-1525
光福寺
光福寺は、戊辰戦争の際、長岡藩の本陣となり、洋式武装した藩兵が配備されました。継之助は小千谷談判のため、5月2日の早朝にここをたち、会談決裂の3日の夕方にここに戻り、藩兵の前で「長岡藩は儀によって戦う」と宣言しました。そして5月4日に、まず会津藩と同盟を結び、6日には奥羽越列藩同盟を結びました。
光福寺
●所在地:長岡市摂田屋1丁目13-35
※拝観はできませんが、敷地内にはいつでもお入りいただいて、外観を見学することは可能です。
「小千谷談判」が行われた「慈眼寺」
北越戊辰戦争で前半のハイライトと云っても過言ではない「小千谷談判」が行われた場所がここ「慈眼寺」です。
長岡藩家老で軍事総督となった継之助は、ここで新政府軍山道軍軍艦の岩村精一郎と会談し、長岡藩は戦う意思のない事、会津藩を攻撃することの理不尽さを訴えましたが聞き入れてもらえず、会談は決裂しました。
こちらの慈眼寺は、観光寺院ではないので拝観を希望される方は、事前に電話でご予約ください。
長岡藩家老で軍事総督となった継之助は、ここで新政府軍山道軍軍艦の岩村精一郎と会談し、長岡藩は戦う意思のない事、会津藩を攻撃することの理不尽さを訴えましたが聞き入れてもらえず、会談は決裂しました。
こちらの慈眼寺は、観光寺院ではないので拝観を希望される方は、事前に電話でご予約ください。
慈眼寺
●住所:小千谷市平成2-3-35
●電話番号:0258-82-2495
●拝観時間:9時~17時
東忠カフェで贅沢な時間を!
幕末、長岡藩総督の河井継之助が新政府軍との慈眼寺会談に臨んだ後、昼食をとった有形文化財でもある「東忠小千谷店」ではその座敷(梅の間)を見学することができます。
ここでは豪華なお食事がいただけるのですが、今回は、東忠小千谷店の2階にある「東忠カフェ」で美味しいケーキをいただきます。
ここでは豪華なお食事がいただけるのですが、今回は、東忠小千谷店の2階にある「東忠カフェ」で美味しいケーキをいただきます。
ここが、河井継之助が昼食をとった座敷(梅の間)です。激動の歴史に思いを馳せられます。
ここでは、一杯ずつハンドドリップで丁寧に抽出したコーヒーや美味しいケーキでほっと一息つける落ち着いた空間です。東忠カフェの宍戸美沙子さんは東京の製菓学校を卒業後、六本木の「ラ ブティック ドゥ ジュエル・ロブション」で経験を積まれました。
春なので迷わずいちごタルトを選びました。タルト生地のサクサク感と生クリームにフレッシュないちご!夢のようなコラボです。東忠カフェの生クリームは牛乳の味が残っていて本当に美味しいですよ。
東忠小千谷店長の高橋奈緒子さんと、東忠カフェパティシエの宍戸美沙子さん。お忙しい中ご対応くださいましてありがとうございました。
東忠 小千谷店
東忠 小千谷店(1F)/東忠カフェ(2F)
●住所: 新潟県小千谷市元町11-11
●電話番号: 0258-82-2033
●営業時間:東忠(昼の部)11時~13時30分(ラストオーダー)
(夜の部)17時~22時(予約のみ)
東忠カフェ:11時~16時30分
●定休日: 不定休※お越しの際は電話でご確認ください。
船岡公園
桜の名所でもある船岡公園は、市街地から気軽に散策できる公園です。実はこの公園も北越戊辰のスポットで「北越戊辰戦争西軍殉職者墓地」があります。
全国から集められ、新政府軍として戦死した199人が埋葬されています。新政府軍参謀代理 時山直八の顕彰碑には、盟友であった山県有明による追悼文が刻まれています。
全国から集められ、新政府軍として戦死した199人が埋葬されています。新政府軍参謀代理 時山直八の顕彰碑には、盟友であった山県有明による追悼文が刻まれています。