静御前と源義経ゆかりの人々の史跡めぐりモデルコース【1日コース】
JR信越本線「長岡駅」より栃尾車庫行きバスで60分
終点「栃尾車庫前」下車、栃堀または栗山沢行きバスに乗り換え7分「おりなす」下車すぐ
●最寄りICからのアクセス
関越自動車道「長岡IC」より約40分
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道の駅 R290とちお
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先ずは、道の駅の観光インフォメーションを利用して、パンフレットなど栃尾地域の情報を入手します。
観光マップ、街歩きマップ、あぶらげマップなどがあります。
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静御前の墓(高徳寺内)
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高徳寺境内と地続きの林の中に、源義経の愛妾・静御前の墓と伝わる、古い宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
静御前は、奥州平泉に逃れた源義経を追う途中、栃堀の地で病の倒れ、建久元年(1190)4月26日亡くなりました。残された二人の従僕は、村人と話し合い埋葬し塔を建て、その菩提を弔ったといわれています。
寺には蘭渓道隆直筆の位牌や静御前の遺物がありましたが戦乱の中で焼失したといわれています。
また、静御前のお墓から向かいを眺めると、義経とともに戦い、「扇の的」の逸話で有名な那須与一が、讒言により越後に左遷された際に住んでいたという館跡、「古戸が池」があります。(現在は水田になっています)
※宝篋印塔…墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種
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瑞雲寺
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瑞雲寺は、佐藤継信・忠信兄弟の母である音羽御前が、戦死した息子たちを供養するために建てた持仏堂が始まりといわれています。
音羽御前が、息子たちが亡くなったとの知らせを聞き、悲嘆に群れていたところ、その枕元に、羽黒大権現が現れ「この近辺に霊場がある。その地に我れを祀れ」とお告げがあり、文治3年(1187)、栃尾の小貫に侍仏堂(瑞雲庵)を建て羽黒大権現を祀って供養しました。
その後、瑞雲庵は寛永10年(1633)に禅僧を迎えて瑞雲寺に改称され、伽藍は築300年江戸時代初期の禅寺の豪壮な禅宗形式を今に残します。
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羽黒神社
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羽黒神社は、音羽御前が帰依した羽黒大権現の本尊(十一面観音)を祀った神社で、1727年に建立されました。
当時の社殿は江戸時代末期に焼失し、現在の社殿はその直後に建立されたものです。社殿の向拝と本体をつなぐ海老虹梁に雌雄の竜がまといついた彫刻が施されています。境内には市文化財の大欅や樫木があるほか、同地域の出身で阪神電鉄やアサヒビールの創始者である外山脩造の墓碑が建っています。