寺泊「ロマンス街道」で史跡めぐり

1日コース
車・徒歩
寺泊には史跡が多くあります
寺泊と言えば、新鮮な日本海の幸と旬の味がズラリと並ぶ「魚の市場通り (通称「魚のアメ横」)」が有名ですが、
今回は意外と知られていない?歩いて訪れることのできる史跡めぐりをご紹介します。
「ロマンス街道」と呼ばれる道を散策し、どうぞゆっくりといにしえの人の心にふれ、思いを馳せてください。
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長岡駅より車で約50分

1

汐見台

旧寺泊中学校跡地「汐見台」からの風景は格別です。

地域一番の高台に位置する「汐見台」は、寺泊港を眼下に、その先には佐渡島、そして日本海に沈む夕日を壮大なスケールで見渡す事ができます。
トイレや駐車場など整っています。

徒歩約5分

2

如意山 照明寺

漁港の町・寺泊にある海を見晴らせる古寺。

永承2(1047)年、高野山龍光院の僧侶がこの地に庵を結んで観音像を安置したのが始まりです。
毎年6月16日の夜から18日の朝までの3日間、200年の伝統行事「観音講」が開かれ、町の年中行事として人々に親しまれています。

照明寺の境内には茶室風の庵、密蔵院があります。
良寛はここに生涯のうち3度ほど移り住んだと言われています。

徒歩約5分

3

白山媛神社

白山信仰と寺泊の鎮守さま

ご祭神は、伊弉冊尊と菊理媛命で国家安泰と海上安全地方開発の神として、崇められています。神域には、神殿をはじめ住吉神社、二面神社等の末社が並び、国指定重要民俗文化財の52枚の船絵馬が収められている船絵馬収蔵庫が建っています。春の大祭には、神輿の渡御があり、十万石の格式の大名行列が町内を練り歩きます。
白山姫神社の創建年代は不詳であるが、現在の社殿は1771年に再建されたものです。
神社の扉は閉まっていますが境内はいつでも入れます。拝観及び船絵馬の鑑賞を希望される方は、白山媛神社宮司代表の三上さん(住吉屋:℡0258-75-3228)へお問合せください。

【船絵馬】
船絵馬は、全国各地の港でみることができますが、寺泊にはこのほか、円福寺の妙見堂に奉納された船絵馬三点があり、特に金子金運丸御利益の遭難図は、珍品とされています。破損や盗難から守るため、収納庫を建設し、保存につとめているため、一般公開はされていません。

4

二面神社

謎を秘め、海のロマンを漂わす

二面神社は、白山媛神社の境内にあり、漁師平三郎が夢枕に立った神様のお告げにより、海上に漂流する御神体を取り揚げて、ここに祀ったといわれています。
御神体は縦82㎝、横39㎝の板に網で漁をする西洋人を透かし彫りにした表裏一体の男女像です。
西洋船の船首につけられた船神様や船の欄干の一部ではないかといわれています。
地元の漁師が豊漁や海上安全を祈願する海の守り神です。

徒歩約3分

5

生福寺のオルゴール塔

「浜辺の歌」のメロディーの音色のオルゴール塔

生福寺の創立は嘉禄3年(1227)で、開基は金光上人です。
町指定文化財に指定された多くの文化財を所蔵しています。展望抜群の境内にはオルゴール塔があり、かつては、まちの人々に時刻を知らせていました。

徒歩約5分

6

聚感園

北越地方の豪族五十嵐氏の邸宅跡を史跡公園にしたものです。

北陸地方の豪族五十嵐氏の邸宅跡です。
鮮やかな緑と石の調和が見事な園内は、散策コースにうってつけ。五十嵐氏は、大同元年(806)先祖忠利が姓を賜り常陸守に任ぜられ、三代佐衛門尉利忠の時、越後守として当国へ赴任せられたといわれます。菊屋と称し、佐渡へ配流となった都の貴人をはじめ、文人墨客との交流を代々続けてきました。またここには佐渡へ遷御された順徳上皇が、風待ちのためしばらくご滞留になられた際の行在所跡があります。

7

行宮御遺蹟碑

聚感園内に行宮御遺蹟碑があります

承久の乱の結果、佐渡へ遷流になった順徳上皇の追慕のあらわれで、故本間建四郎氏ら町の有志の篤志によって、大正11年に建設されました。この巨大な碑面には、漢文で長い文章が刻まれています。五十嵐家では「武兵衛屋敷のうち平なる所に行宮をしつらえ候」として、邸内に菊の紋章を張りめぐらし、都菊を植えて、手厚くおもてなしをしたと伝えられています。

8

弁慶の手掘井戸

聚感園に弁慶の手堀井戸があります

源義経は兄頼朝の命を受けて大きな戦功を立てましたが、逆に頼朝より疎まれ追手をかけられ都落ちします。
弁慶以下わずかな兵を従えて北陸路から奥州平泉へ逃げ下る道中、一行は海上で遭難し寺泊へ漂着しました。
土地の豪族五十嵐氏邸に数日間、身を寄せたと伝えられています。その時、弁慶が義経のために掘ったと伝えられる井戸が今も聚感園にあります。
のちに、江戸時代の天保年間に漢学者の亀田鵬斎がこの五十嵐家を訪れた時「弁慶井泉の詩」を作られました。

聚感園入口から徒歩約6分

9

「越之浦神社」「五十嵐伊織の墓」

【越之浦神社】
聚感園の入口から石段を登って行くと、越之浦神社があります。
承久の乱で敗れ25歳で佐渡へ配流された順徳上皇は、都に帰る日をひたすら待ち続けましたが、時の執権北条泰時の許しを得られず、仁治3年(1242)ついに46歳で佐渡の地で一生を終えられました。
五十嵐武兵衛はこれを深く悲しみ、上皇が眠る佐渡の真野御陵に向けて祠を建て上皇をお祀りしました。
昭和15年には上皇の御神霊を奉祀する越之浦神社が建てられ、御製碑が神殿の脇に移設されました。
御製碑には三首の歌が刻まれています。
「たのめすはつらきならひと思はましなかなかなりや松に吹く風」
「露も袖にいたくなぬれそ秋の夜のながき思ひは月にみるとも」
「月見ても秋のあはれはあるものをしづ心なくうつころもかな」

【五十嵐伊織の墓】
伊織は幼き頃、藍沢南城について学び、皇典を修め、また、長岡藩士篠原某を師にし剣に精進したといわれています。
同士4人と共に、勤皇を志し郷里を出て京都に滞在中、大村益次郎暗殺に加わり、斬首されたのです。
時に享年29歳、故郷寺泊の妻や二児を案じながらの最期でした。

徒歩約10分

10

日蓮上人 硯水の霊井

文永八年(1271)日蓮上人が佐渡へ配流になったとき、寺泊で船を待ちつつ説法された「北国最初の霊地」です

七日間滞在されたとき、上総国(千葉県)中山の弟子日常宛に有名な「寺泊御書」を書きましたが、そのとき用いられた硯水はこの霊井で、今も真夏にも涸れず、冷たく澄みきった水がこんこんと湧き出ています。

徒歩約3分

11

寺泊海岸つわぶき温泉 住吉屋「お食事処 つわぶき」

自慢の海の幸をランチでもお楽しみいただけます。
散策後、ぜひお立ち寄りください。
「お食事処 つわぶき」
・月曜定休
・ランチ営業時間 11:30~14:30(14:00ラストオーダー)

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