上杉謙信公史跡めぐりモデルコース【1日コース】
謙信公は幼名を虎千代、元服後景虎、出家して僧名を謙信、不識庵とも号しました。
謙信公は父為影の没後、14歳のとき、中越地方を鎮撫するため郡司として栃尾城に入城し、旗揚げをしました。6年間の在城中に数々の武勲を打ち立て、19歳で越後の国主となり、景虎のために働いてきた栃尾衆を引き連れて春日城(上越市)に入城しました。
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道の駅 R290とちお
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先ずは、道の駅の観光インフォメーションを利用して、パンフレット「謙信公ゆかりの史跡」と栃尾地域の情報を入手します。
観光マップ、街歩きマップ、あぶらげマップなどがあります。
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常安寺
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天文16年(1547)8月、長尾景虎(後の上杉謙信)公自らが開基となって、創建、寄進した古稀です。すでに越後国主となっていた謙信公が創建した当時の常安寺は、七堂伽藍を配した豪華なたたずまいだったそうですが、火災により惜しくも焼失し、元禄14年に再建されました。現在の本堂は昭和54年に建てられたものです。
常安寺には、謙信公直筆による五言対句や兜の前立てなどの遺品が残っていますが、現在は文化財に指定され、一般公開されていません。
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秋葉神社
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天文20年(1551年)、上杉謙信が常安寺の守護神として秋葉三尺坊大権現を勧請し、別当般若院の寺領を開基の験として寄進しました。常安寺住職門察和尚に対し、「先年不慮の戦争の折には大変忠信をつくされた。それで開基のしるしとして般若院並びに法用寺分を寄進する」という寺院宛行状を与えています。
火伏せの神様である秋葉三尺坊威徳大権現は、全国に多くの神社や末社を持っていますが、秋葉神社には秋葉信仰における「日本総本廟」の称号をもっています。
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謙信公銅像
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秋葉公園の南側に謙信公の銅像が建てられています。
左手に数珠、右手に軍配団扇、腰には刀を差しています。また、謙信公はかなりの大男であったと言い伝えられ、「越後の虎」と呼ばれるにふさわしい風貌だったようです。
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謙信廟・門察和尚の碑
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明治41年に始まった謙信公祭の10周年記念事業として、大正4年(1915)、秋葉山の頂上に謙信公を祀る祠と、その登り口に石造りの大鳥居を建設しました。並んで、謙信公が栃尾に在城していた当時の学問の師、門察和尚の碑が建っています。師は比類なき学識をうたわれ、瑞麟寺5世として常安寺を開山しました。
車で3分
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城山登り口(諏訪神社)
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馬場跡、千人溜まりなどの城跡を通って登るルートです。
ハイキングの装備が必要です。
※時間のない方は、「本丸跡」の下まで車で行くルートもあります。駐車場から徒歩10分で「本丸跡」です。道の駅インフォメーションでお尋ねください。
●本丸まで徒歩30分
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栃尾城跡(鶴城山)
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栃尾市街を見下ろす山城。本丸跡からは霊峰守門岳や市街地が一望できます。空壕、千人溜まり、馬場跡など戦国時代の山城の遺構尾が良く残っています。
車で5分
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瑞麟寺跡
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青年時代を栃尾で過ごした上杉謙信公は、軍事の傍ら瑞麟寺で修業し、「義」の信念を見いだしました。永正15年(1518)に開創され、春日山のおひざ元、上越(旧吉川町)に転輪寺三世、瑚山和尚によって開山された禅宗の寺です。瑞麟寺の唯一の遺品である梵鐘が常安寺に保存されています。